列車街
今回紹介する作品は、特集【スリランカの傷跡】より、「列車街」です。
作品概要
スリランカには、列車とスレスレの線路脇で生活する人々がいます。彼らの出自は様々で、内戦の原因となった、対立する民族同士も一緒になって暮らしています。食肉処理施設が近くにあるからと、政府に「ヤギ小屋」と名付けられたこの街は、抑圧された住民たちの団結により、守られてきました。「列車街」で暮らす人々の生き様に迫るドキュメンタリーです。
見どころ
線路の上の生活
彼らの生活スタイルは、あまりに衝撃的です。線路の脇はおろか、線路の上を歩き回り、そこに机を置いて物を売ったりしています。そして、列車が通る時間には、急いで線路の脇に逃れ、列車が通り過ぎるのを待つのです。子どもたちは線路の上で遊びまわり、線路を歩いて学校に通います。彼らにとっては、それが当たり前のことなのです。
街の人々の団結
この場所はもともと、タミル人が暮らしていた土地でしたが、シンハラ人が移り住み、話し合って共に暮らすようになったという歴史があります。民族間の対立により長く内戦が続いていたスリランカですが、この街の人々は民族を問わず団結しています。彼らは、スリランカの民族間の融和の象徴のように思えますが、彼らが民族を問わず、抑圧された存在であったことを示しているとも言えるでしょう。
立ち退きを強いられる街
ある住人は、この街を「美しい」とさえいいます。抗うことのできない、絶対的な存在である「列車」と、そこに生きる人々の力強さと儚さを醸し出す「街」の対比は、ある種の美しさすら感じさせます。
政府によって、路線の拡張が計画されていることで、彼らは立ち退きを迫られています。もともと、国の鉄道部の土地に「違法に」生まれたこの街は、消滅することが、正しい在り方なのでしょうか。
原題である「My life as a Cowboy」(カウボーイとしての僕の人生)は、この街のとある少年の、この街での暮らしを喩えた言葉です。様々な人が暮らすこの街は、俳優を夢見る少年にとって、映画の中の出来事のように魅力的なのです。それがたとえ、過酷な環境であり、貧しく、抑圧されたものであったとしても、です。
カウボーイもまた、過酷な環境で生きる存在です。それではなぜ「カウボーイの人生」は魅力的なのでしょうか。開拓者であるカウボーイは、自身が生きる場所を、自分の力で切り拓いていく存在です。その力強さに、後世に生きる私たちは、憧れ、魅力を感じるのです。
そして、列車街には、かつて街を「開拓した」人々の力強い魂が、いまも息づいています。そんな街の姿を見ると、私たち人間が持つ「開拓者」としての力強さに気づかされます。私たちの「カウボーイとしての人生」は、それに気づいたときに始まるのです。
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