ドキュメンタリー映画の部屋inアジア

アジアのドキュメンタリー映画専門チャンネル「アジアンドキュメンタリーズ」配信作品の感想を綴っていきます。

コッコちゃんとパパ【日本初配信】

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コッコちゃんとパパ 原題:Tungrus 2014年製作/作品時間14分 撮影地:インド 製作国:インド

 今回紹介する作品は、特集【ショートの魅力】より「コッコちゃんとパパ」です。

作品概要

 ニワトリは、ペットになりうるでしょうか。本作の舞台は、アパートで一羽の雄鶏と暮らす、インドの中流家庭です。ペットが大好きなパパが露店で買ってきたヒヨコは、あっという間に立派な雄鶏に成長し、自由気ままな振る舞いで家族を困らせるようになりました。しかし、長い時間を共に過ごすことで、愛情も芽生えた一家。そこで、パパがとある決断を下します。彼らのニワトリとの暮らしを追った、ショートドキュメンタリーです。

注目のポイント

日常に入り込んだ、ニワトリという非日常

 本作の魅力の一つは、舞台設定そのものです。アパートで暮らす一般家庭の日常に、ニワトリという「非日常」が入り込んでいるという状況は、とてもシュールで、思わずくすっと笑いがこぼれます。ニワトリ以外が日常そのものだからこそ、ニワトリの存在が際立つのです。映像表現も秀逸で、家じゅうを我が物顔で動き回るニワトリに翻弄される家族の表情を、丁寧に捉えています。14分という作品時間に非常にマッチした、テーマと表現であるように思えます。

温かな家族の人柄

 本作の舞台である家族は、皆人間味あふれる温かな人柄です。ニワトリが仕事や家事の邪魔をしても、困った顔こそするものの、誰も怒ることはありません。バサバサと埃を舞わせたり、家じゅうでフンをしたりと、普通の人なら青ざめるような場面でも、温かく見守っています。彼らの寛容な人柄が、このシュールな舞台を生んだのでしょう。そして、この優しさゆえに、ニワトリの「処分」について、悩むことになるのです。

「彼」は家族になれたのか

 ニワトリを、かつてヒヨコとして買ってきたパパは、作中でニワトリのことを「彼」と呼んでいます。家畜として飼っている鶏のことをそのように呼ぶことはありませんから、「彼」は、パパの中では当然のように家族の一員なのでしょう。「彼」がパパの胸の中で幸せそうに眠っている姿を見ると、家族になったことは、「彼」にとっても良いことだったように思えます。

 

 家畜を殺して食べることと、ペットを飼って可愛がることは、矛盾することなのでしょうか。

 ニワトリは、一般的には家畜ですが、本作の「彼」は家畜とは言えないでしょう。家族の長男は「この子を食べるのは抵抗がある、知らないニワトリならいいけど」と語りました。個別の存在として認知し、愛着が沸いた以上、知らない家畜と同じ扱いをすることはできないのです。

 そして、私たち人間同士のことであっても、同じことが言えるのではないでしょうか。私たちは、知っている人、とりわけ愛情を注いだ人が亡くなると涙を流しますが、遠い世界の、知らない誰かが命を落としても悲しまない人がほとんどでしょう。

 この「知っているか」の距離感が、私たちが相手を捉えるときの指標なのです。

 優れたドキュメンタリーからは、人間の本質が見えてきます。それは、美しいものばかりではなく、醜い部分や矛盾を孕んでいることがほとんどです。それでも、私たちが自分を知り、より深く考えて生きていくために、ドキュメンタリーを観ることは、優れた手段の一つに違いありません。

 

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埋立地の漁民【日本初公開】

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埋立地の漁民 原題:Silent Blues of the Ocean 2016年製作/作品時間27分 撮影地:インドネシア 製作国:インドネシア

 今回紹介する作品は、特集【インドネシア 発展の陰で】より「埋立地の漁民」です。

作品概要

 インドネシア東部の中心都市であるマカッサルでは、港湾開発の一環として行われている埋め立て工事により、漁業を営んでいる人々が追いつめられています。本作は、劣悪な環境と貧困に苦しむ人々の実態を赤裸々に映し出します。原題「Silent Blues of the Ocean」の通り、解説などで多くを語らず、27分の映像表現で、経済優先で進む開発に疑問符を投げかけるドキュメンタリーです。

注目のポイント

漁民たちが「漁る」もの

 マカッサルの漁民たちの稼ぎは、流れ着くゴミの分別に頼っています。流れ着くゴミは、分別はおろか、なんの処理もされずに捨てられているのです。彼らはそれを分別して、資源として安値で売ることで生活していますが、借金の取り立てを待つ日々は、非常に厳しいものです。かつて魚を捕るために使っていた船を、ゴミを運ぶために使う光景は、歪められた彼らの生活を象徴しているように思えます。

どぶ川で遊ぶ子どもたち

 劣悪な衛生環境での生活は、子どもたちにも直撃してきます。真っ黒な水に白い泡が浮いたどぶ川で、水遊びをする子どもたちの姿は非常に衝撃的です。埋め立てによって頻発する浸水で、家が水浸しになったり、寝床を失ったりする人も少なくありません。まさに、インドネシアの発展の陰に、このような人々の生活があるのです。

追いつめられる人々

 貧困に耐えかねて国外に出稼ぎに行こうとする者もいますが、家族と離れることはリスクでもあります。出稼ぎに行っている間に、子どもが死ぬことも考えられます。戦争や虐殺といった、死と隣り合わせの場所ではありませんが、彼らは日々の生活の中で、確実に追い詰められている実感があるでしょう。仕事の合間に、コーヒーを飲んで笑顔で語り合う彼らの姿を見ると、彼らの明日が、少しでも良いものになるように、祈らずにはいられません。

 

 マカッサルでは、当局が日本企業と共に都市開発計画を進めています。

 開発すること自体が「悪」であるとは言えませんし、私たちの生活も、都市開発の恩恵を受けたものであることは言うまでもありません。

 しかし、都市開発が、開発地で暮らす人々を置き去りにする懸念があります。本作で取り上げられるような、地元産業の破壊や生活環境の破壊は、弱者からの搾取です。

 産業に国境のない時代を生きる私たちは、こうした動きを注視する必要があります。知らない間に、このような搾取の片棒を担いでしまうことになりかねないからです。

 そのためにも、まずは知ることが重要です。ドキュメンタリーを観ることは、この時代を生きる、責任ある一人の人間として、欠かせない視点を得ることに繋がるのです。

 

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鉄の男たち チッタゴン船の墓場【日本初公開】

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鉄の男たち チッタゴン船の墓場 2009年制作/バングラデシュ/作品時間90分

 今回紹介する作品は、特集【危険な仕事】より「鉄の男たち チッタゴン船の墓場」です。

作品概要

 世界中の廃船が集まる「船の墓場」は、バングラデシュ南東部の都市チッタゴンにあります。ここでは、貧しい労働者たちによって巨大な廃船の解体が手作業で行われています。本作では、チッタゴンで廃船の解体工として働く「鉄の男たち」に密着し、毎年20人が命を落とすという危険な解体作業や、労働者たちの深刻な貧困問題にも触れながら、彼らの、逞しくひたむきな生き様を描いたドキュメンタリーです。

注目のポイント

2万トンの廃船を切り分ける男たち

 本作の魅力の一つは、なんといっても衝撃的な解体作業の映像です。まともな重機も使わずに、潮の満ち引きで巨大な廃船を浜辺に上げ、手作業で切り分けてゆくのです。無機質な廃船とは対照的に、解体工の男たちは活気にあふれ、自らを鼓舞するような掛け声に合わせて、その細い身体の何倍もある鉄くずやロープを引くのです。また、危険な現場に事故はつきもので、実際に一歩間違えば命を落とすような危険なシーンもあります。死にかけた若い工員に、「神が守ってくださった」のだというベテラン工員は、命を捨てた人間の凄みを感じさせます。

貧しさと、逞しさ

 チッタゴンで働く者の多くは、バングラデシュ北部の貧しい人々です。中には、学校に行くお金のない子どもが親と一緒に働いているケースもあります。子どもを労働から守る法律もあるようですが、彼らはそもそも働かなければ食べていけず、貧困に対して支援があまりに遅れている実態がうかがえます。しかし、貧しい労働者たちがみな、人生に絶望しているわけではありません。貧しさを原動力にして、毎日力を振り絞って働く男たちはとても逞しく、ある種の希望すら感じさせるような無邪気さがあります。

愛する家族のために

 子どもができたという出稼ぎ労働者のベラルは、妻と子どもの待つ田舎まで4日かけて帰りましたが、そこで我が子を抱いて、涙を流しました。必死に働いても良くならない暮らしや、愛する家族への思いに、感情が爆発したのでしょうか。2万人以上いる、チッタゴンの労働者には、一人ひとりに人生があり、愛する人がいるのです。それを思って改めて「船の墓場」の現場を見ると、力を振り絞って働く彼らの姿に、強く心を揺さぶられます。

 

 ドキュメンタリーは、社会問題を提起するだけではなく、そこに何らかの意図をもって、観る人の感情に訴えかけるものです。この作品は、良い意味でドキュメンタリーのあるべき姿を体現しているように思えます。

 チッタゴンの状況は、改善されるべきものでしょう。しかし、人間とは残酷な生き物で、その問題だけを提起されても、それが自分と距離のあるものだと、素通りしてしまいます。そのため、語弊を恐れずに言えば、ドキュメンタリーという「エンターテイメント」として発表することで、観る人と彼らの世界の距離を近づけることができます。

 しかし、ドキュメンタリーで描かれる彼らの生き様は、「見せ物(≒エンターテイメント)」ではありません。映画の力を借りて、彼らの世界に近づいた私たちは、ともに考え、悩み、行動することができ、また、そうしなければならないのだと、この作品を観て、強く感じました。

 

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戦場病棟 アレッポの狂気【日本初公開】

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戦場病棟 アレッポの狂気 原題:Madness in Aleppo 2019年製作/作品時間83分 撮影地:シリア 製作国:シリア

 今回紹介する作品は、特集【戦う医師たち】より「戦場病棟 アレッポの狂気」です。

作品概要

 シリア北部の都市アレッポでは、内戦が激化したことで、人々は死と隣り合わせの日々を送ることを余儀なくされました。本作では、アレッポで唯一機能していた病院に勤める医師や看護師、そして止まない爆撃の中で懸命に生きる人々の姿を生々しく映し出します。傷ついた人々を救うため、危険を顧みず治療を続ける、「狂気」とも言えるほどの彼らの使命感に、思わず心を揺さぶられるドキュメンタリーです。

注目のポイント

わが子よりも母国、という「狂気」

 アレッポ出身の看護師イブラヒムは、トルコに自分の子どもを置いて、アレッポの病院で勤務を続けていました。彼女は取材にて当時の自分を「狂気の沙汰」だったと振り返ります。しかし、病院での彼女の表情を見ると、それは悲壮感漂う背水の陣というよりは、生き生きとした希望すら感じさせられます。絶望的な状況でも、人々を救い、母国を守ることに、彼女は生きがいを感じていたに違いありません。

「パパに安らかな眠りを」

 病院に運び込まれたある男の子は、医師にそう言いました。彼の父親は、内戦の襲撃に巻き込まれて命を落としたのです。小さな男の子にそこまで言わしめるアレッポの残酷な日常は、叫び声と血の匂いに満ちた朝から始まります。医師のハムザは、アレッポを離れてもなお、当時の強烈な記憶が忘れられないといいます。内戦が、どれだけ多くの人々を傷つけ、医療従事者を疲弊させているか、この作品では、それを十分すぎるほどに描いています。

陥落、それでも夢は続行される

 政府軍に包囲されていたアレッポは、2016年12月に陥落し、人々は退去を余儀なくされました。イブラヒムは、アレッポ陥落を「夢が醒めた」と表現しました。政府軍に抗い、自由を夢見た戦いは、終わりを迎えたということでしょうか。しかし、同じく故郷を追われたハムザは、それでも「夢は続行される」といいます。故郷を思う人々が命を繋いでいく限り、いつか故郷に帰ることができると、命をその手で繋いてきたハムザは、信じているのです。

 

 日本で生きる私たちにとって、「死」はあまり身近なものではないでしょう。一方で、生きる意味を見つけられらない人が多いという話もよく聞きます。

 アレッポの病院では「死」がすぐ傍にありましたが、そこで働く医療スタッフはある意味で希望を持って「生き生き」しているように感じました。

 私たち人間は、「死」を感じることで、自らの「生」を実感するのかもしれません。命の尊さを、失うことで理解できるのではないでしょうか。

 何千年と殺し合いを止めない私たち人間は、きっと愚かです。失って初めて、失ったものの大切さに気付きます。しかし、私たちには、共感し、追体験する力があるはずです。彼らの死と、生きようとする「狂気」を目の当たりにすれば、同じ命を持つ人間として、自らの生きる意味にも、向き合えるはずです。

 

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ロッキングスカイ【日本初公開】

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ロッキングスカイ 原題:冲天 英題:The Rocking Sky 2015年製作/作品時間98分 撮影地:台湾・中国 製作国:台湾

 今回紹介する作品は、特集【戦争の記憶】より、「ロッキングスカイ」です。

作品概要

 泥沼と呼ばれた日中戦争で、祖国・中華民国の空に殉じた青年たちがいました。侵攻してくる日本軍と勇敢に戦ったパイロットたちは、愛する人を残して、帰ることはありませんでした。本作では、私たち日本人が知らない「中華民国にとっての日中戦争」を残された人の証言や、直筆の手紙、さらには躍動的な音楽とアニメーションなども交え、多彩な表現で描きます。戦争に運命を左右された人々の感情のうねりは、わが国で語り継がれてきたものと、通じる部分もあります。先の大戦とはなんだったのか、私たち日本人こそ、知らなければならない真実が、ここにあります。

注目のポイント

揺れる空、高く舞い上がれ

 原題「冲天」は空高く上ること、英題「The Rocking Sky」は揺れる空という意味になります。その題の通り、本作の見どころの一つは、躍動感溢れるアニメーションと音楽です。死と隣り合わせの空に漂う緊張感や、戦闘シーンの迫力は鳥肌ものです。また、アニメーションは「動」のみならず、「静」の表現にもその力を発揮します。当時、戦場に愛する人を送り出し、祈ることしかできずにいた人々が抱いていた焦燥感や絶望を追体験することができます。従来のドキュメンタリー映画という枠にとらわれない多彩な表現が、戦争の様々な面を描くうえで欠かせない要素となっています。

戦勝国の8月15日

 敗戦国としての終戦は、私たちにとって馴染み深いものですが、中華民国の視点では8月15日は「戦争に勝った」日です。日本の降伏をきいて、市民は戦勝に沸きますが、一方で大切な人を失った人々は、勝ったことを喜ぶことは当然できず、街の空気が耐え難い苦痛であったといいます。本作に登場するパイロットたちも、戦いの中で若くして空に散っていきますが、運命を覚悟しながらも、彼らを愛し、支えた人々がいました。残された人の悲しみは、戦争がいかに虚しいものであるかを物語っています。

もうひとつの「風立ちぬ

 「生きねば。」のキャッチコピーが話題となった、宮崎駿の作品「風立ちぬ」は、零戦の設計者・堀越二郎の半生を描いた作品です。彼は、空に憧れた少年でしたが、戦争という時代の渦に飲まれ、生み出した戦闘機が帰らぬものとなったことに、打ちひしがれます。「風立ちぬ」は、先の大戦の時代を描いていますが、いわゆる戦争映画ではなく、運命に立ち向かい、生きることに全力で向き合った若者の物語です。そして、本作が描いているものは、まさに、もうひとつの「風立ちぬ」というべき、中華民国の若者たちの全力の「生」なのです。

 

 本作のジャケットに描かれているのは、戦闘機が舞う空と、それを見つめる女性の姿です。つまり、この作品は、英雄の記録ではなく、残された者、かつて祈ることしかできなかった者たちの物語なのです。

 歴史を語ることができるのは、生き残った者だけです。愛する人を失い、絶望にくれてもなお、「生きねば。」を噛みしめて今日まで命を繋いできた人がいるからこそ、私たちは、戦争が残酷で、虚しいものであることを知ることができます。

 平和を祈る夏、彼らの声を聴くことは、私たちのつとめではないでしょうか。

 

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ウォーナーの謎のリスト【日本初配信】

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ウォーナーの謎のリスト 2016年製作/作品時間116分 撮影地:日本・アメリカ・フランス 製作国:日本

 今回紹介する作品は、特集【戦争の記憶】より、「ウォーナーの謎のリスト」です。

作品概要

 「ウォーナー・リスト」とは、アメリカの美術史家であるラングドン・ウォーナーが、太平洋戦争当時、日本の文化財が失われることを懸念し、151か所をリストアップし、爆撃を避けるよう求めたものです。また、大空襲で焼け野原となった東京で、神田神保町古書店街が燃えなかったことは、ロシア人の学者で日本に縁のあったセルゲイ・エリセーエフの進言によるものともいわれています。本作では、戦争における文化財保護という視点から、ウォーナー、エリセーエフの二人を中心に、当時を生きた人々の足跡をたどり、太平洋戦争の知られざる舞台裏を解き明かしてゆきます。

注目のポイント

文化財の保護に一生を捧げた男

 ラングドン・ウォーナーは、当時のアメリカにおける日本美術史の第一人者でした。彼は、重要な文化財の価値を見出す能力に長けていたとされ、戦前には日本でも美術を学んでいました。彼の「文化財を完璧な場所で保護する」という思いはとても強く、ボストン美術館での師・岡倉天心に「天狗のような傲慢さ」と批判をされ、袂を分かつことになります。そんな彼が、一生をかけて守ろうとした日本の文化財が、人類にとっていかに価値のあるものであるか、彼の一生を追うことで、再認識することができます。

古書店街はなぜ燃えなかったのか

 神田神保町は、約180の古書店が並ぶ世界一の古書店街です。この場所が戦火を免れたのは、親日家で、夏目漱石などとも親交のあったロシア人・エリセーエフが、マッカーサーに進言をしたからだと、司馬遼太郎の著書「街道をゆく」に書かれています。本作では、多くの歴史家への取材や、米軍側の資料を紐解き、この説を検証していきます。そして、エリセーエフが、戦争へ向かう当時の日本をどのように見ていたのかが浮かび上がってきます。

日米開戦を回避せよ!

 ウォーナーがリストを作成することができたのは、彼と親交が深かった、歴史家・朝川貫一の影響が大きかったといわれています。朝川は若くして渡米し、戦争へ向かう日本を「狂い始めた」と感じていました。そして、ウォーナーと共に、日米開戦を回避するべく奔走します。本作の後半では、日米開戦を避けるための「天皇と大統領が直接親書を交わす」という大胆な作戦の一部始終を描きます。そして戦後、文化財保護の英雄として持ち上げられることを嫌った、ウォーナーの心の内を解き明かします。

 

 私たちの生活は、先人たちの知恵の積み重ねで成り立っています。つまり、歴史から、過去から学ぶことが、未来を発展させる唯一の方法です。

 しかし、現在もなお、世界中で戦争や破壊行為によって、貴重な文化財が失われています。これは、私たち人間の進歩そのものを否定することに他なりません。

 ウォーナーが感じていた、文化財が持つ価値を理解すれば、「ウォーナー・リスト」が持つ意味も見えてくるでしょう。

 そして、彼が未来を見据えて成し遂げた仕事を、次の未来へと引き継ぐのは、現代を生きる、私たちの使命ではないでしょうか。

 

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日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人

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日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人 2020年製作/作品時間98分 撮影地:日本・フィリピン 製作国:日本

 今回紹介する作品は、特集【戦争の記憶】より、「日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人」です。

作品概要

 戦前や戦中にフィリピンや満州に移り住み、終戦後も帰国が叶わなかった、わが国の「残留孤児」たちは、戦争にその人生を大きく左右されてしまいました。現地で差別に苦しんだり、帰国しても日本の社会に溶け込めずにいたりと、日本人として生きることには多くの障壁があります。また、高齢化が進み、失意のまま亡くなる方が後を絶たず、一刻も早い問題解決が求められています。本作では、わが国の残留邦人問題を、当事者と、その問題解決に勤しむ人々の姿を通して丁寧に解説しつつ、国家のあるべき姿とは何か、私たち日本人が忘れてはいけないものは何かを、強く訴えます。

注目のポイント

「国籍」という保護を受けれられない――フィリピンにおける実態

 戦前のフィリピンには、かつて3万人の日本人移民が暮らしており、日本人男性とフィリピン人女性の間に多くの日系二世が生まれました。しかし、日本軍のフィリピン占領に伴い、軍に徴用された父親と離別したため、二世たちは日本人である証明ができず、また占領で生まれた現地の反日感情により、差別を恐れて日本人であることを隠して生きなければなりませんでした。そして、日本国籍も、フィリピン国籍も得られず、また無国籍者の認定も受けられていないため、不法滞在などの罪に問われるおそれがある状態であり、フィリピンから出ることができずにいるのです。

言葉の壁、社会で孤立――中国残留孤児、帰国後の実態

 当時の満州で生まれ、戦争で親や兄弟と離別し、中国残留孤児となった人々は、戦後30年ほどで帰国が叶いましたが、中国での暮らしが長く、日本語や日本の文化・社会に馴染みがなく、孤立して引きこもってしまうケースが多くあったと言います。そんな中国残留邦人の問題に光を当てたのは、彼らによる大規模な集団訴訟でした。残留孤児に対する国の支援義務違反などを問うた裁判は、結果として世論を作り、政治を動かすことに繋がったのです。

「棄民」という大罪

 終戦直後、日本政府は、移民として暮らす人々にできる限り現地に土着するよう指示しました。これは、民を守るべき国が、その義務を放棄する「棄民」政策であると、本作で強く批判しています。また、残留邦人たちの高齢化は予断を許さない状況にあり、「関係者がいなくなるのを待つ」ような対応は、断じて許されるものではないでしょう。問題の「消滅」ではない「解決」を、本作では強く訴えているのです。

 

 本作に登場する、ある中国残留邦人の方の話が、とても印象に残りました。

「例えば、電車に乗っていると、この車両のどこかに、自分の兄弟がいるかもしれない。そんな風に考えてしまう」

 家族を失い、国を失った彼らは、自分の居場所がないことに、どれだけ苦しんだことでしょう。日本に帰っても、祖国とは何か、答えを見つけられずにいるのは、その運命を辿ってみれば、当然であるように思えます。

 私たちが、当たり前のように「居場所」としているわが国は、かつて戦争という国策で、その機能を狂わせ、国民を棄てるという過ちを犯しました。その事実を、私たちは忘れてはいけません。

 そして、私たちの居場所は、これからの社会を生きる私たち自身で、作っていかなければならないのだと、強く感じました。

 

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