ドキュメンタリー映画の部屋inアジア

アジアのドキュメンタリー映画専門チャンネル「アジアンドキュメンタリーズ」配信作品の感想を綴っていきます。

太陽の塔

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太陽の塔 2018年製作/日本/作品時間112分

 今回紹介する作品は、特集【人類史を紐解く】より、「太陽の塔」です。

作品概要

 1970年、高度経済成長に沸く日本で「人類の進歩と調和」を掲げて開催された大阪万博にて、そのシンボルとして芸術家・岡本太郎が制作した「太陽の塔」は、万博が終わっても取り壊されることなく、大阪を象徴する存在の一つとして現在まで愛されています。本作では、激動の時代を生きた太郎が「太陽の塔」にどんな思いを込めたのか、様々な分野の専門家や芸術活動に携わる人々からの取材を重ね、検証してゆきます。芸術とは、そして人類とは何かを見つめなおすきっかけになる、話題作です。

見どころ

人類は進歩などしていない!

 大阪万博では「人類の進歩と調和」を主題に、過去を否定し、未来に希望を見出す思想が人々を包んでいました。斬新な芸術の代表者として白羽の矢が立った太郎ですが、彼はこの「進歩と調和」に疑問を抱いていました。「太陽の塔」の展示は、新しいものづくしの万博で、生命の歴史と、人類が抱える矛盾に正面から向き合い、そんな社会を支えているのは無名の大衆であると、訴えたのです。

「縄文」に惹かれた太郎

 太郎は、縄文時代の土器をはじめ、その時代の人類が持つ精神性に強い関心を持っていました。縄文時代は、狩猟・採集の時代です。農耕が始まり、階級の存在する社会が構築されてから現代に至るまで、私たちは同じ作業を繰り返す機械のようになってしまったといいます。近代というシステムに抜け落ちている「生命力」を、太郎は取り戻すべきだと考えていたのかもしれません。

曼荼羅」としての太陽の塔

  「曼荼羅」とは、仏教の世界でその「宇宙観」を立体化して表現したものです。太郎は、太陽の塔曼荼羅であると、明言しています。太郎が重視した曼荼羅の概念とは、全ての物事は融通無碍に繋がりあっている、というものでした。生命の歴史を、アメーバから人間まで繋ぐ「生命の樹」の展示は、太郎が大切にしていた世界観を「曼荼羅」として表現したものだと考えられます。

 

 原子力は、私たち人類が「人工の太陽」を生み出したとも言われた、画期的なエネルギー資源の発明でしたが、人類は結果として核兵器の問題や、事故による汚染など、様々な代償を負うことになりました。

 太陽の塔「太陽」の名を冠しているのは、太郎が私たちに「人工の太陽」が手に負えないものであることを示唆してるようにも感じます。現に、太陽の塔は万博が終わってからも、取り壊されずに残されていますが、これは、太陽の塔という「もう一つの人工の太陽」を壊せなかった、つまり「手に負えなかった」という結果によるものと捉えることもできます。

 検証と想像によって、太陽の塔から読み取れるメッセージは無限に広がります。時代や人によって、同じものから受け取るメッセージは変化しうるものです。太陽の塔が、時を超えて存在するものだと太郎が想定していたのならば、彼が私たちに期待していることは、私たち人類が内に秘めた何かに気づき、「覚醒」することなのではないでしょうか。

 

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