人間機械
今回紹介する作品は、特集【工場で働く】より、「人間機械」です。
作品概要
インド北西部にある巨大な繊維工場には、劣悪な環境で働く労働者たちがいます。長時間拘束され、不平等な労使関係のなかで労働力を搾取される彼らは、まるで、工場を構成する「機械」のように扱われているのです。インドの著しい経済成長の裏側で続く、出稼ぎ労働者たちの過酷な現状を告発する本作は、同時に、巨大な作業機械が稼働する工場内の異質な雰囲気を、ある種の「美しさ」すら感じさせる、カメラワークと音響で描き切った芸術的作品でもあります。
見どころ
搾取される労働者たちの現状
本作の舞台である繊維工場では、多くの労働者が出稼ぎに来ています。家族のため、子供を育てるために、過酷な環境でも必死に働いているのです。彼らには、福利厚生やボーナスはおろか、労働組合すらありません。工場や会社に、労働条件の交渉をすることもできません。一方で、経営サイドは、成長するインド経済の恩恵を受けつつも、労働者を「生かさず、殺さず」使うことが当たり前になっているのです。労使の壁は厚く、貧しい者と富める者の格差は大きくなる一方です。
本作の後半、カメラを向けられる多くの労働者たちは、「あなたたちも、取材を終えれば帰るのでしょう。演説をして帰る政治家と同じで、何もしないのだ」と、画面を通じて、私たちに訴えかけます。
「不快で、美しい」工場の息遣い
巨大な繊維工場の内部には、多くの作業機械が稼働しています。本作では、それらの不気味な姿と、繰り返し響く機械音を丁寧に捉え、まるで工場の内部に入り込んだような感覚を味わうことができます。そして、機械と機械との間に埋め込まれている労働者たちは、まさに「人間機械」とでも呼ぶべき状態です。この異質な光景は、私たちの本能に、人間のあるべき姿と乖離していることに対する「不快さ」と、同時にある種の「美しさ」を感じさせるのです。
グローバル経済の中、労働者の搾取による工業製品は、私たちの生活にもすっかり入り込んでいます。つまり、私たちもこのような問題の当事者なのです。見て見ぬふりをする「何もしない隣人」であってはならないと痛感しつつも、一人ひとりの力の弱さに絶望してしまうかもしれません。
ところで、この工場の光景から感じる「美しさ」とは、一体何なのでしょうか。
私たち人間は、古くは自然に、そして建築物や芸術作品に「神」を追い求めてきました。それは、人間ではとても及ばない、巨大な力を持つものでした。つまり、私たち人間は、敵わない力の存在を崇め、「神」として信仰する習性のある生き物なのです。
この工場に感じる「美しさ」の根源は、この信仰にあるのかもしれません。私たち人間が生み出した、人間が人間らしくいることを許さないこの場所を、どうにもできない巨大な力を持つ「神」であると、感じるのかもしれません。
そして、この「美しさ」を乗り越えた先に、「労働者の搾取」という悲劇を終わらせる鍵が、あるように思えます。
あなたは、どのように感じるでしょうか。
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