ドキュメンタリー映画の部屋inアジア

アジアのドキュメンタリー映画専門チャンネル「アジアンドキュメンタリーズ」配信作品の感想を綴っていきます。

プラスチック・チャイナ

 

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プラスチック・チャイナ 2016年製作/中国/作品時間82分

 今回紹介する作品は、特集【アジアンドキュメンタリーズと本】【ゴミと私たち】【学校へ行きたい子どもたち】より、「プラスチック・チャイナ」です。

作品概要

 プラスチックごみに関する環境問題が叫ばれ始めてから久しい現在ですが、最近まで、日本をはじめとする先進国のプラスチック廃棄物が中国に輸出されていた現実があります。本作では、中国でプラスチックごみのリサイクル工場を営む人々の姿を通して、目覚ましい経済発展を遂げた中国の、貧困層の過酷な実態を明らかにします。プラスチックと環境、そして貧困というマクロな問題提起をする一方で、人物一人ひとりの感情まで繊細に描き切った作品です。

注目のポイント

ゴミ山に似合わない笑顔

 家族経営のリサイクル工場では、出稼ぎで働く父親と共に暮らす子供たちがいます。ゴミ山の中でおもちゃを見つけて遊んだり、川で浮いている魚を焼いて食べたりしている暮らしぶりは、とても不衛生で過酷なものですが、彼らにとってはそれが半ば当たり前になってしまっているのでしょう。山積みになった膨大な量のプラスチックごみと、それとはあまりに不釣り合いな、純粋な笑顔で遊ぶ子供たちの表情は、とても印象的です。

学校に通えない子供たち

 本作に登場する少女は、工場で仕事を手伝うよりも学校に行くことを望んでますが、父親は酒におぼれ、「金がないからだめだ」と許してくれません。貧困層では、教育にお金をかけることの重要性を認識していないことで、子供が教育を受けることが出来ず、結果的に貧困が連鎖してしまうのです。少女は、学校に行きたいと言うことすら憚られ、下の子供たちの面倒と父親の言いつけに板挟みになってしまっています。そして仕方なく、ゴミ山の中から見つけたチラシを教科書代わりにしようとする姿を見ると、とても心が痛みます。

私たちと繋がっている世界

 工場に集まるプラスチックごみは、世界中から輸入されたものです。ゴミに書かれた言語は多種多様で、中には日本語が書かれたものや、日本の有名人が描かれたものも散見されます。それらのカットを見ると、まるで別の世界のように思える衝撃的な彼らの暮らしは、私たちの生活と繋がっている世界の出来事であることを強く感じさせられます。そんな「覚醒」こそ、ドキュメンタリーの真髄といえるでしょう。

 

 この作品の影響で、中国では2017年にプラスチック廃棄物の輸入を禁止することになったそうです。国内で強い力を持つ中国政府ですら改善を余儀なくされたことは、ドキュメンタリー作品が持つ力の強さを示した好事例といえるでしょう。

 一方で、日本ではゴミの輸出についての問題はあまり報じられていないのが実情です。私たちの生活が、世界のどこかに暮らす人々の健康や衛生環境を蝕んでいることを自覚している人は少ないのではないでしょうか。

 世界が繋がっているということを、この作品を見て「体験」してみませんか。

 

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オンライン奴隷市場【日本初公開】

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オンライン奴隷市場 原題:Maids For Sale 2019年製作/作品時間51分 撮影地:クウェートギニア共和国 製作国:イギリス

 今回紹介する作品は、特集【現代の奴隷たち】より、「オンライン奴隷市場」です。

作品概要

 人身売買は、歴史上の出来事ではありません。湾岸諸国では、インターネット上のマーケットで、未成年のメイドが財産として出品されているのです。まさに「現代の奴隷」というべきこの実態を明らかにすべく、本作では、BBCアラビア放送の取材班が、この「オンライン奴隷市場」が活発なクウェートにて潜入取材を敢行。違法行為でありながら、人身売買の自覚がないまま行われている取引の実情や、市場を提供する企業が抱える問題など、今も終わらない人身売買の現場の、衝撃の事実を明らかにします。

注目のポイント

あまりに手軽な「オンライン奴隷市場」
 本作の取材班は、メイドを購入したい夫婦を装い、出品者に接触を試みます。ショッピングアプリやSNSで「商品」としてメイドたちの写真が並ぶ画面は、非常に衝撃的です。そして、電話一本で出品者とメイドの少女に会うことができます。メイドたちは、自分が出品されていることは知りません。取引の会話も、メイドたちには理解できないアラビア語で行われます。出品者が「買い手はいくらでもいる」と自信満々に言い放つ姿は、この「人身売買」が恐ろしく手軽であり、一般市民の間で横行している実態を示しています。 

「違法」な人権侵害の横行

 「メイドが携帯電話を持つなんて、この世の終わりだわ」――。市民の二人に一人がメイドを雇っているクウェートでは、こんな発言がテレビ番組で放送されています。クウェートでは近年、メイドの権利を拡大する法律を成立させましたが、違法行為とされても、未成年のメイドを年齢を偽って働かせたり、パスポートを取り上げて逃げないようにしたりと、その実情は改善に至っていません。また、メイドが逃げ出すことは法律違反であり、過酷な環境から脱したくても、当局に逃げ込むと刑務所行きとなってしまう恐れがあり、人権を奪われたメイドたちの絶望感は、果てしないものです。

少女のふるさとを探せ

 メイドたちの人権を守る活動を行う団体は、取材班とともに、一人の少女のメイドを見つけます。彼女を救い出すべく調査を始め、出生地であるギニアでは、同じ苗字という縁で紹介されたギニアの警察官の男性と出会います。彼は「父親として許せない」と、休みを取ってまで彼女のふるさと探しに奔走します。また、ギニアでは、かつてメイドとしてひどい扱いを受けた少女たちがいました。「地獄だった」とクウェートでの日々を振り返る「元・メイド」の少女たちの表情には、刻まれてしまった傷の深さが感じられます。現在進行形で傷つけられている彼女は、果たして、無事ふるさとに帰ることが出来るのでしょうか。

 

 私たちの価値観が流動的であることは、歴史が物語っています。

 人身売買が横行している一番の原因は、メイドを雇っている市民の常識にあるでしょう。「メイドは所有するもの」という社会通念、それが法律よりも根強く染みついている現状が、この悲劇に幕を引くことを阻害しているのです。 

 また、本作で繰り返し触れられている、市場を提供する企業の責任もあります。GoogleAppleFacebookといったITメジャーがリリースするプラットフォームが、人身売買の温床になっていることは、紛れもない事実です。

 世界中がオンラインで繋がる現代において、人身売買を根絶させるには、世界全体の価値観を変えていかなければなりません。身近なアプリの画面に映し出された、少女たちの写真を見て、私たちも「世界全体の価値観」その輪の一部であることを、強く感じました。

 

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アジア犬肉紀行

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アジア犬肉紀行 2018年製作/中国・韓国・日本/作品時間123分

 今回紹介する作品は、特集【動物の尊厳】より、「アジア犬肉紀行」です。

作品概要

 今の日本ではペットとして親しまれている犬ですが、その犬の肉を食べる習慣が、今も中国や韓国の一部地域を中心に存在します。そして近年、SNSなどの発展により、食用犬を取り巻く問題が明るみに出て、議論を呼ぶようになりました。本作では、残虐な屠殺方法や、劣悪な環境での飼育、ペットとして飼われていた犬を盗む犯罪組織の存在など様々な問題を抱える、犬食の現場に果敢な取材を行い、日本では報道されない犬食文化の闇と、こうした問題に立ち向かうため、活動する人々の姿を力強く発信します。

注目のポイント

残虐な犬食の現場

 食用犬を取り巻く環境は、非常に劣悪で残虐なものです。狭い檻に詰め込まれ、腐った残飯を餌に飼育されます。屠殺場へ運ばれる途中で、怪我や伝染病、飢えなどによって命を落とす犬も多数おり、なぶり殺されたり、生きたまま火あぶりにされたりする犬たちを映す映像は、思わず目を背けたくなるほどの残虐さです。現場には、犬が苦しむことで味が良くなるという迷信を信じているところも多く、「食文化」という言葉に隠された闇は非常に深いものだと感じさせます。

犬を守りたい人々の葛藤

 中国や韓国でも、犬を食べることに反対し、犬食が抱える問題から犬たちを救い出そうと活動する人々が数多く存在します。中国では、食用犬を運ぶトラックを止めて、犬たちを救出して保護している団体があります。また、韓国では「犬肉スープ祭」に反対するデモが行われています。彼らは「犬を助けたい」という信念を持って活動していますが、犬の保護施設の隣に、食用犬の飼育場が存在するなど、根本的な解決ができないことへのもどかしさも感じます。「食文化」であるとの反論に、「かわいそうだから」と感情論で返すことへの葛藤もあるように感じます。

知られざる「日本の犬食」

 本作では、犬食の歴史にも焦点を当て、わが国でも30年ほど前までは、一般家庭で犬が食べられていたと紹介しています。また、動物愛護法を掲げながら犬肉の輸入を認めている、ダブルスタンダードともいえる国の方針を問題として取り上げます。捕鯨問題などの影響で「食文化」とされる犬食についてタブー視されがちな日本で、犬肉撲滅を目指す男性の活動に密着し、犬食の問題が、私たち日本人にとっても他人事ではないことを強調しています。

 

 韓国の、食用犬飼育場の近くで暮らすある男性は、取材に対し、「今の若い人は犬を食べない。犬食はいずれ無くなるだろう」と答えていました。事実、日本における犬食は、時代が進むにつれて衰退してきました。

 本作では一貫して、犬食は「食文化」という見方に疑問を呈しています。文化であるか否かはともかく、私たち人間の行動は、時代の流れに沿って変わっていくため、かつて生活のために必要とされていた犬食も、必要とされなくなってきたと、考えることもできるでしょう。

 私たちは、人間の価値観が変遷した歴史を学ぶことはできますが、その真っただ中で、その時代のうねりを感じることは少ないでしょう。しかし、犬食が過去のものになるのであれば、そこで手を下すのは私たち自身です。そうした意味で、犬食について考え、その運命を見届けることには、非常に価値があるのではないでしょうか。

 

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禁断の向こうへ イラン人の秘密

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禁断の向こうへ イラン人の秘密 2017年製作/イラン/作品時間52分

 今回紹介する作品は、特集【未知の国 イラン】より、「禁断の向こうへ イラン人の秘密」です。

作品概要

 イランでは、イスラム教の戒律が国民に厳しく課せられ、様々な自由が制限されています。そんな中、宗教警察の監視の目を掻い潜り、禁止されている「欧米風」の暮らしを満喫している人々が、少なくありません。本作では、逮捕されるリスクを冒してでも「戒律」を破る庶民の実情に、フランスの取材班が潜入します。イランという宗教国家の矛盾した側面を見つめ、そして国家や宗教の在り方を、考え直すきっかけになる作品です。

注目のポイント

「監視社会」イランの実情

 イランは、中国に次いで死刑の多い国です。毎日1000人が処刑され、未成年でも死刑になることがあるといいます。また、鞭打ちなどの刑罰も盛んに行われていて、その背景には、イスラム教の戒律による厳しい規制があります。本作では、首を吊られた人の映像なども映し出され、その姿は非常にショッキングです。ところが、街で取材を受ける人々は、自由のない現状に不満を抱きながらも、どこか飄々としています。「バレたら刑務所行き」のイラン社会で、庶民はとても器用に生きているように思えます。

隠れる者、闘う者

 

 イスラムの戒律では飲酒は禁止されていますが、庶民の中ではビールを密造して利益を得ている人もいます。また、禁止されている犬の飼育も富裕層には人気です。警察の監視がまばらになる夜中に、こぞって犬を散歩させている人々の姿は、とても奇妙です。これらの「禁止行為」は、ほとんどが隠密に行われています。一方、この規制に真っ向から立ち向かおうとする人々もいます。彼らは「バムバム」と呼ばれ、グラフィティーアートで自由を訴えます。彼らは、死刑になるリスクを冒してでも、声を上げることを止めません。本作では、イラン国民の戒律に対する様々な抵抗の手段に密着し、彼らの「本音」を、丁寧に掬い上げています。

「宗教国家」の矛盾

 イランでは、皇帝による統治が行われていた時代こそ、富裕層は「欧米風」の自由な暮らしをしていましたが、貧富の差による不満が革命を呼び、今の「宗教国家」が成立しました。体制側による宗教的プロパガンダは活発で、国営放送ではイスラムの説教ばかりが放送され、大量の資金を投じて、指導者であるホメイニ師の霊廟や、反米感情を煽るCMが制作されています。しかし、市井ではアップル等の米製品が流通し、金曜日の礼拝に参加するのは、国民の5パーセント程度だといいます。イランは一見、敬虔なイスラム教の戒律により治められている「宗教国家」であるように思えますが、その実情は、プロパガンダと、それに対する国民感情の乖離が進む、矛盾に満ちたものです。

 

 宗教も、国家も、私たち人間が「より良く」生きていくために、長い歴史の中で考え出した「知恵」のように思えます。何かを信じ、崇めることで、生きるうえでの障壁を乗り越え、団結することで、相互に暮らしを豊かにしていくことが、宗教や国家の本来的な機能なのではないでしょうか。

 今のイランにおける「戒律」は、人々の生活をただ制限するだけの枷となっているように感じました。本来の、救済としての宗教の意味合いを失い、戒律という「行動」だけが形骸化してしまっているのです。 

 日本では、宗教が生活に影響を与えることはまれで、イランが抱える問題も、他人事のように感じるかもしれません。しかし、「社会システムの形骸化」という問題と捉えると、それは決して他人事ではありません。

 「知恵」は、時代の変化とともにアップデートされるべきです。私たちが、過去の知恵という枷に囚われないために、友好国イランの実情を、見つめてみる必要があるのではないでしょうか。

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爆弾処理兵 極限の記録(ノーカット完全版)

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爆弾処理兵 極限の記録(ノーカット完全版) 原題:The Deminer 2017年製作/イラク/作品時間83分

 今回紹介する作品は、特集【悪魔の兵器】より、「爆弾処理兵 極限の記録(ノーカット完全版)」です。

作品概要

 イラク北部・モスルでは、武装勢力が仕掛けた数多くの地雷や爆弾が、市民の暮らしを脅かしていました。本作は、爆弾処理兵として類稀な能力を発揮し、年間に600個以上の地雷や爆弾の処理を行った、ある男の戦いを追ったドキュメンタリーです。現地で記録されていた50時間以上のビデオ映像を編み直し、爆発で片脚を失ってもなお、爆弾に挑み続けた男の生き様を、彼の長男の語りと共に、映し出した力作です。

注目のポイント

緊迫感溢れる、リアルタイムの「爆弾処理」の映像

 本作の映像は、爆弾処理兵として活躍する男・ファーケルを追って、現地で撮影されたものです。隠された爆弾(それも、不発弾ではなく、戦闘のため直近に仕掛けられたものがほとんどなのです)を探し出し、ナイフとペンチで、一つずつ手作業で配線を切断する様子は、見ているだけで思わずため息が出てしまいます。また、爆弾は非常に巧妙に仕掛けられており、建物の扉を開けると起爆するものや、携帯電話を使い遠隔で起爆させる爆弾を積んだ車など、様々です。爆弾の処理というと、地雷がイメージされがちですが、この映像は、戦場のリアルな姿を映し出す、貴重な資料でもあります。

”命知らずのファーケル”と、彼を支える家族

 どんな危険な現場でも、臆することなく足を踏み入れるファーケルは、”命知らずのファーケル”と敬意をこめて呼ばれ、イラクに滞在するアメリカ軍からも一目置かれる存在でした。そんな彼の一番の挫折は、爆弾により片脚を失ったことでした。これまで、重傷を負ったときですら「明日軍務に復帰する」と言い放つような、頑強な精神力の持ち主でしたが、杖なしで歩けない体となり、軍からも仕事をするのは絶望的と判断され、自身の在り方に葛藤することになります。そんな時、彼を支えたのは、家族でした。そして彼は間もなく、義足を装着し、再び軍服に袖を通します。

使命感に燃える「兵士の生き様」

 「地雷で亡くなる子ども達は、自分の子どもと同然だ」と、彼は言いました。軍人として、罪なき人が爆弾で被害を受けることを、彼は心から憎んでいました。愛する家族と離れ、戦地で骨を埋めることになっても、イラクの人々を守り、平和を守ろうとする彼の姿は、あまりにも尊いものです。どれだけ爆弾の数が多くとも、何度爆発に巻き込まれようとも、彼の心が折れることはありません。まさに、人生を懸けて使命を全うせんとする「兵士の生き様」に、観る者の心は揺さぶられます。

 

 「愛国心」というと、極右的な思想のように感じる人もいるかもしれません。

 本作の主人公、”命知らずのファーケル”は、生まれ育ったイラクを愛し、イラクの未来と子どもたちの命を、何よりも大切に思っていました。彼はまさに「愛国の兵士」であり、銃や爆弾を憎む、「平和の戦士」でもありました。彼を、極右や軍国主義と結びつけることには、あまりに無理があります。

 現代の日本では、社会問題が議論されると、「日本はダメな国だ」と自虐的かつ、他責思考で見る傾向があるように感じます。本来、「国」とは国民そのものであり、私たち国民が、自分の国を大切に思い、行動しなければならないのではないでしょうか。

 ファーケルが戦っていた場所に比べると、私たちの戦場は生ぬるいものかもしれませんが、挑戦しなければならない問題は、数え消えれないほど多くあります。

 彼の生き様を見て、使命感に「覚醒」したと言うのは大げさですが、そんなことを考えて、明日から生きてみようと、思った次第です。

 

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精神病棟のプロポーズ

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精神病棟のプロポーズ 原題:The Marriage Project 2020年製作/作品時間79分 撮影地:イラン 製作国:イラン、フランス

 今回紹介する作品は、特集【結婚の価値】より「精神病棟のプロポーズ」です。

作品概要

 イランの精神科病院「エーサンの家」で「結婚プロジェクト」という試みが始まりました。これは、治療のため病院に収容されている精神病患者たちのなかで、適性のある者に結婚してもらい、症状の回復に繋げようとするものです。治療のためとはいえ、大半の患者が院内で一生を終えるという特異な環境で、彼らにとって「結婚」が持つ意味はどのようなものなのでしょうか。患者たちの結婚に奔走する病院スタッフと、自身の気持ちや運命に向き合う患者たちの姿を通して、私たち人間が「結婚すること」の価値を問いかける作品です。

注目のポイント

窓を叩く音、精神病棟の光景

 「君たちは囚人ではない」と、医師が患者たちに声をかけるシーンから、この作品は始まります。確かに、収容されている患者たちは、集団で行動を制限され、病院から出ることを許されていないため、自分を囚人のように感じても、不思議はありません。取材を受けていた患者たちは、一見、健康な人と同じように話ができているように思えますが、夜中、しきりに窓を叩いたり、虚ろな目で歩き回ったりする姿を見ると、彼らが心を病んでいることが如実に伝わってきます。私たちが普段、目にすることのないその光景は、とても衝撃的です。

「楽園」で愛を育む二人

 患者であるサハルとセイフラーは、ともに長くこの病院で暮らしており、両想いの関係です。彼らは、温室で植物をいじりながら、愛の言葉を交わしあうのです。彼らの表情は、心を病んでいることを忘れさせるほど、希望に満ちています。「結婚プロジェクト」に着手した医師も、この「愛」が持つ力に、賭けてみたくなったのかもしれません。しかし、彼らの結婚には、大きな障壁があるのです。作品全体を通して、彼らが確かに感じている「愛」と、それが形にならないことへの葛藤が、力強く描かれます。

結婚しない人だって手をつなぐ

 患者のマルジャンは、家族との問題を抱え、この病院で暮らしています。彼女の結婚における障壁もまた、家族です。結婚することが、個人のみならず、家族にとっても影響のあることなのは、間違いありません。彼女は、家族から見放され、万が一彼女の子どもを育てることになるのを恐れられ、結婚も許されていないのです。しかし、愛の形は「結婚」だけではありません。彼女は、プロジェクトによって結婚が計画されていた男性の手を取り、「結婚しない人だって手をつなぐ」のだと言いました。彼女が、自分の運命に立ち向かう姿は、とても情熱的で、ロマンチックです。

 

 「愛」の効果は「他人との境界を破壊すること」だと言ったのは、本作の語り手の、かつての恋人です。そして、この病院のある精神科医も、愛によって「感情の共有」や「感情の相互作用」が起こるのは必然だと説いています。

 心を病んでいる彼らにとって、この「境界の破壊」は、果敢な挑戦だったはずです。そして、それでもなお「愛」の持つ力を信じる、医師の情熱に、心を打たれます。

 誰かを愛することは、私たち人間が持つ力の一つです。心が苦しかったり、くたびれてどうしようもなかったりするときに、大切な誰かを想ってみると、力が湧いてくるかもしれません。そんなことを、思い出させてくれる作品でもあります。

 

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プラセボ あるインドの名門医学生の心理

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プラセボ あるインドの名門医学生の心理 原題:PLACEBO 2014年製作/作品時間94分 撮影地:インド 製作国:インド・フィンランド

 今回紹介する作品は、特集【追いつめられる日々】より、「プラセボ あるインドの名門医学生の心理」です。

作品概要

 合格率わずか0.1%以下の、インドの超名門医科大学・全インド医科大学(AIIMS)では、ここ数年で在学生の自殺が頻発しています。競争に勝利し、エリート街道をひた走るはずの学生たちに、一体何が起きているのでしょうか。本作では、学生寮で暮らす4人の学生に2年間の密着取材を敢行し、彼らの目線で、彼らの人生に潜む苦悩に迫ります。知られざるインドの「エリート教育」の現場を、赤裸々に描き切った傑作です。

注目のポイント

 

インドの超エリートたちの素顔

 インド13億人の頂点に位置する学生たちは、一体どのような人物なのでしょうか。本作に登場する医学生たちは、一見すると、みな人間味あふれる、「普通の若者」のように思えます。くだらない冗談で笑い、踊りを踊ったり、女の子にモテることを夢見たりする姿は、いかにも「学生」といった様子です。また、研修などの体験を通して、医師という仕事にやりがいを感じ、そのことを語る姿は、とても情熱的です。どの表情も、まるで同じ場所にいるかのような、感情を肌で感じ取れる、臨場感溢れる映像で、描かれています。

頻発する自殺、その背景にあるものとは

 ここ数年、AIIMSでは、毎年のように学生や研修医が自殺をしています。ある学生は、「人間の精神の最高到達点は、自殺」といい、それは、種の生存と繁栄という「本能」を、「知性」によって超越するからだと説いていました。なぜ、自殺が頻発するようになってしまったのでしょうか。学業の行き詰まりや、周囲からの期待に応えるストレスによるものでしょうか。それともその「知性」の高さゆえの悲劇なんてことが、起こりうるのでしょうか。

顔のない学生は、名乗った

 AIIMSでは、長年、いじめが問題となっていました。いじめ問題を重く見た当局は、学生間の交流を制限することにしました。しかし、この施策は裏目に出ます。本作の取材期間中、新たに自殺した学生が現れました。ところが、「顔のない学生」と表現された彼を、知る人はいなかったというのです。彼を死に追いやった原因が明かされることはありませんが、ある学生が、ヒントを語っています。「厄介なのは、孤立だ」と。彼は、自らの命を絶つことで、初めて「名乗る」ことに成功したのです。

 

 本作の表題「プラセボ」は、「偽薬」の意味で広く使われていますが、その語源はラテン語で「喜ばせましょう」という意味で、古くは、カトリックの死者のための祈りの中で使われたといいます。しかし、この作品が、命を落とした学生たちへの「祈り」であるとは、言い難いでしょう。

 冒頭で、学園祭のシーンが描かれます。熱狂的で、若い学生たちの「生」のエネルギーに満ちているように感じます。しかし、この学園祭が表現しているものは、まったく別のメッセージです。あえてすべては語りませんが、ここに、私たち人間が持つ「偽薬」の正体が、描かれているのです。

 

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