ドキュメンタリー映画の部屋inアジア

アジアのドキュメンタリー映画専門チャンネル「アジアンドキュメンタリーズ」配信作品の感想を綴っていきます。

HIKIKOMORI フランス・日本

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HIKIKOMORI フランス・日本 原題:HIKIKOMORI:THE LOCKED GENERATION 2020年製作/作品時間69分 撮影地:フランス・日本 製作国:フランス

 しばらく更新が滞ってしまいましたが、時間ができたので、またアジアンドキュメンタリーズの配信作品を観ていきます。今回紹介する作品は、6月の特集【追いつめられる日々】より「HIKIKOMORI フランス・日本」です。

作品概要

 これまで、日本特有の問題であるとされてきた「ひきこもり」は、今や世界中の人々の問題として、その解決が叫ばれています。本作では、フランスで「ひきこもり」の若者を支援する活動や、「ひきこもり」問題の最先端である、日本での事例を多数取り上げながら、この問題を生み出す社会的な背景や、これからの展望を考えてゆきます。

注目のポイント

世界に広がる「ひきこもり」

 フランスでは、数万人の若者が「ひきこもり」となり、社会に参加できない日々を送っているといいます。また、「ひきこもり」問題についての意見交換を行う会議では、世界の様々な国から、研究者や当事者の家族などの参加者が訪れ、この問題が世界全体で人々を苦しめている事実が見て取れます。フランス語でも「HIKIKOMORI」と呼ばれていることも印象的です。これまでのイメージに縋り、日本人の性格や日本の社会「だけ」に「ひきこもり」の背景を探ることは、もはや意味の無いことと言えそうです。

最先端の国で影を落とす、「ひきこもり」の末路

 日本では、何年も前から「8050問題」が叫ばれています。これは、80歳の親が、50歳のひきこもりの子供を支えなければならない、という問題です。経済的困窮によって親子共倒れになったり、親が死んだあと残された子供が生活できなくなったりと、「ひきこもり」の高齢化が招いた社会問題です。また、「ひきこもり」のように、社会と切り離された人が、自宅で死亡した後も気づかれず放置される「孤独死」も、増加傾向にあります。孤独死の現場に積み上げられたゴミの山は、生きる力を失った人の絶望感を、ひしひしと伝えてきます。

社会復帰のために必要なのは

 日本のある支援団体では、「ひきこもり」から社会復帰を目指す人が就業訓練をする場所として、パン屋や飲食店を経営しています。慣れない手つきでレジを打つ青年に、温かい表情でお金を渡す、とあるお客さんの女性がいました。様々な背景で「ひきこもり」となった人が、社会に出ていくためには、彼女のような温かい眼差しが、必要なのだと痛感させられます。

 

 「ひきこもりの大半は、好きでひきこもっているわけじゃない」と、本作に登場する「ひきこもり」の男性は言います。人間は、誰もが一人では生きていくことはできません。この問題が行きつく先は「孤独死」であると前述しましたが、当事者も、「ひきこもり」としての生活は、いずれ破綻するとわかっています。それでも、社会から「避難」してこなければ、明日を生きることが困難な状況にあるのです。

 「ひきこもり」の原因、背景には、様々な事情がありますが、これだけ多くの「ひきこもり」を生み出している社会では、その一員である私たちも、明日の「ひきこもり」になる恐れを孕んでいると言えるでしょう。

 私たちの生活から見えない、彼らのことを、日々の生活で感じ、考えることは難しいかもしれません。しかし、私たちが、社会全体が変わらなければ、「ひきこもり」問題は解決しないのです。本作を観て、一人でも多くの人が、「温かい眼差しのお客さん」のように、なってほしいと願うばかりです。

 

「HIKIKOMORI フランス・日本」は、アジアンドキュメンタリーズで配信中です↓

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街角の盗電師

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街角の盗電師 2013年制作/インド/作品時間80分

 今回紹介する作品は、特集【魅惑のインド大特集】【視聴率ベスト20】【危険な仕事】より「街角の盗電師」です。

作品概要

 インドの工業都市・カーンプルでは、電力不足が深刻です。そんな街では、違法配線のスペシャリストである「盗電師」と、電力公社との攻防が繰り広げられています。誰もが電気を使えるようにと、危険な作業を続ける盗電師が活躍する中、違法配線を根絶に着手したのは、電力公社に新しく赴任した敏腕の女性官僚です。そして、度重なる停電に民衆の不満が募る中、カーンプルでは選挙を迎えます。インドの深刻な「電力戦争」の様相を、様々な視点で追った、アジアンドキュメンタリーズ代表作の一つです。

注目のポイント

盗電師と、混沌とした街

 カーンプルの街は混沌としています。活気あふれる人々が縦横無尽に行き交い、彼らの頭上には、盗電師によって張り巡らされた配線が迷路のように張り巡らされています。この混沌とした雰囲気を、存分に感じられることも、この作品の魅力の一つです。天才盗電師の両手は、火傷の跡に加え、一本の指が折れ曲がったままです。それでも、街の人々のために、盗電師として活躍する彼の信念は、強く真っすぐなのでしょう。

改革の先に見据えるもの

 電力公社の改革に乗り出した女性官僚には、カーンプルの電力事情を改善するためのビジョンがありました。盗電による損失が改善されなければ、電力供給のための設備を強化することはできません。そのため、盗電の取り締まりを徹底し、公社の勤務員の意識も変えようと奔走します。しかし、停電や故障が相次ぐと、民衆からは失意の眼差しを向けられます。彼女も、葛藤を抱えながらも、強い信念で難題に立ち向かっているのです。

 

 電気を盗むことは、いけないことなのでしょうか。

 カーンプルの「電力戦争」は、インド社会が抱える問題の象徴です。格差や貧困の解消、インフラ設備の充実が、根本的な解決には不可欠です。人々に電気を届ける盗電師も、公社の改革を進める官僚も、民衆の生活を思って活動していますが、彼らの信念は対立し、答えが出ないままでいます。

 生きることが困難になるとき、私たちの「善、悪」という概念は、いとも簡単に崩れてしまいます。もし、私たちが同じ立場に立ったとき、なにを「善」として行動することができるでしょうか。

 この作品は、そんな問題を、私たちに問いかけてきます。彼らの姿を見て、あなたも考えてみてください。

 

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ショック・ウェーブ

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ショック・ウェーブ 原題:Shock Wave 2020年製作/作品時間45分 撮影地:レバノン 製作国:オーストラリア

 今回紹介する作品は、特集【爆心地 レバノン】より「ショック・ウェーブ」です。

作品概要

  2020年8月4日、レバノンの首都ベイルートの港湾地区で、今世紀最大規模の大爆発事故が発生しました。爆発の主な原因は、政府によって没収され過去6年間港に放置されていた、約2750トンの硝酸アンモニウムへの引火とみられています。本作は、爆発の瞬間を捉えた様々な映像と、心身に深い傷を負った被害者への取材を通して、この爆発事故が象徴する、レバノンという国の悲劇を描いたドキュメンタリーです。

注目のポイント

人々の日常を破壊した、爆発の瞬間

 爆発は、何の前触れもなくベイルートの人々を襲いました。本作で紹介される映像の数々は、私たちが報道で見るような俯瞰のものではなく、スマートフォンなどで撮影された生々しいものばかりです。破壊されつくした街の姿は、衝撃の威力がいかに凄まじいものであったかを物語っています。

尊い命を失った人々

 爆発は、ベイルートの207人の尊い命を奪い、6,500人以上の負傷者を出しました。大切な人を失った彼らの言葉は、悲しみと怒りで震えていました。街が復興を果たしても、彼らが失ったものは二度と戻ってきません。一生、癒えることのない傷を負った彼らが、辛い記憶をカメラの前で語るのは、一体なぜでしょうか。

人災、終わらない悲劇

 この事故を招いた原因は、政府による危険物の杜撰な管理によるとされています。この爆発事故以前にも、レバノンでは反政府デモが相次いでいましたが、以降、政府への批判はさらに高まり、8月10日にはディアブ首相が内閣総辞職を発表しました。この事故は、政治が招いた人災であり、政治腐敗による悲劇は、レバノン国民を今もなお苦しめているのです。

 

 政治の腐敗とは、第一に当事者意識が欠如することに他ならないと思います。私たち現代人の生活は、このような事故を起こしうる危険物を活用することで成り立っているものです。政治が、人々の安全を守る第一人者としての意識を失えば、技術の産物は、時に我々に牙を剝くのです。

 例えば我が国でも、東日本大震災による福島第一原発の事故は、後に様々な「人災」的な要素が指摘されてきました。

 レバノンの悲劇は、決して他人事ではありません。政治腐敗は、国が人間の集まりである以上、残念ながらどの国でも起こりうることなのです。愛する息子を失った夫婦が、カメラの前で語ったのは、息子の死を、せめて、今生きている人々に役立ててもらいたい一心だったのではないかと思います。

 政治を担うのは政治家のみならず、社会に生きる私たちの役割でもあります。私たち一人ひとりが、責任を持って政治に参加しなければ、かけがえのない命を、守ることはできないのではないでしょうか。

 

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ビルマVJ 消された革命

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ビルマVJ 消された革命 原題:Burma VJ: Reporter i et lukket land 2008年製作/作品時間85分 撮影地:ミャンマー 製作国:デンマーク

 今回紹介する作品は、特集【ミャンマーの苦悩】より「ビルマVJ 消された革命」です。

作品概要

 2007年、軍事政権による独裁が続くビルマミャンマー)で、規模な反政府デモが行われました。当局による厳しい情報統制下で、ビルマ国内の様子を世界に発信したのは、勇敢なVJ(ビデオジャーナリスト)たちでした。彼らは、危険を覚悟でハンディカメラを回し続け、軍部の残虐さ、厳しい圧政の実態を、世界に知らしめました。本作は、当時、ビルマ国内で秘密裏に記録された膨大な映像を整理・再構成し、ビルマ民主化運動と、独裁政権による抑圧の実態を、赤裸々に映し出すドキュメンタリーです。

見どころ

溢れる熱量と臨場感

 この作品の特長は、なんといっても映像の臨場感です。政権側の暴力も辞さない強硬姿勢を伝える映像は、この問題を考えるうえで非常に重要な資料でもあります。現地で射殺された、日本人ジャーナリストの長井健司さんの姿も捉えています。デモと軍事政権が衝突する現場に漂う緊迫感を、その場にいるかのように実感できます。

立ち向かう人々

 軍事政権の弾圧の中で、危険を冒して撮影された映像からは、社会を変えようと立ち上がる人々の熱意と、それらを発信することに対するVJたちの使命感が、ひしひしと伝わってきます。デモの先陣を切った僧侶たちは、政治とは縁のない存在ですが、彼らは苦しむ人々のために、民衆を鼓舞します。非暴力・非服従の信念を曲げない人々の、力強さに心を打たれます。

ジャーナリストの矜持

 本作の映像のなかには、ジャーナリストたちの姿を捉えたものもあります。放送局「ビルマ民主の声」として活動するジャーナリストたちは、民主化運動にとって、国内の情勢を世界に知ってもらうことが大切だとわかっていました。圧政に抗うには、個人は無力な存在です。事実を記録し、発信することが、国を変えることに繋がるのだと確信していたのです。軍事政権を倒すため、ビデオを回し続ける、ジャーナリストたちの矜持を、感じることができます。

 

 この作品の途中で、ある違和感を覚えました。その映像には、たくさんの人間が映っています。デモをする人、それを撮影する人、そしてデモ隊を取り押さえる人。軍隊の制服や、僧侶の袈裟のような「記号化」された姿では気づきにくかったのですが、争っている人は、みな「同じ人間」なのです。

 政権による弾圧という「わかりやすい敵」がいるかのような問題であっても、じつは「同じ人間同士」の問題であるということに、気づくことは難しいのかもしれません。

 軍事政権の残虐さや、立ち上がる民衆の姿も、伝えなければならない事実なのは間違いありません。しかし、なによりも私たちが知らなければならないのは、人間を弾圧しているのは、同じ人間であるということ、そして、私たちにも、そうなってしまう可能性が秘められているということではないでしょうか。

 

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ナーガ 永遠のヨギ

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ナーガ 永遠のヨギ 2016年製作/インド/作品時間72分

 今回紹介する作品は、特集【ヨーガの世界】より「ナーガ 永遠のヨギ」です。

作品概要

 ヨーガを行う者を「ヨギ」といいますが、インドで極限のヨーガの実践に人生を捧げる人々がいます。禁欲主義を徹底し、衣服すら放棄し、瞑想に勤しむ彼らは「ナーガ」と呼ばれ、古来よりインド、ヒンドゥー教の世界で聖者として伝承される存在です。彼らはなぜ、全てを捨て、あまりにも過酷な修行にその身を捧げるのでしょうか。数千年の歴史を持つヨーガの世界に生きる人々を、迫力ある映像で描いたドキュメンタリーです。

※作品中に全裸の修行者が登場しますが、作品の意義や作家性を尊重し、映像を修正、改変することなく配信しています。(アジアンドキュメンタリーズ公式ホームページより)

見どころ

ヨーガの世界観

 ヨーガとは、内省を極めることだといいます。自分の中に宇宙を見る、という言葉が印象的でしたが、自分という存在をとことん見つめることで、自分を理解し、世界を理解することができるのです。また、彼らは身体に灰を纏い、「自分に星を着せる」ことで、全てから護られるというのです。修行に勤しむ彼らの姿は、とても神秘的で、これまでヨーガの世界を知らなかったとしても、何か不思議な力を感じることができます。

あまりに衝撃的な苦行

 私たちが普段耳にする「ヨガ」というものは、スポーツや健康促進的な意味合いの活動であることがほとんどです。しかし、「ナーガ」と呼ばれる修行者たちの「ヨーガ」は、それとは全く異なる、過酷なものです。片腕を挙げ続けて爪が伸びっぱなしになっている者や、12年間ずっと言葉を口にしない者など、あまりに衝撃的な苦行を続ける彼らの姿に、唖然とするに違いありません。

伝承される「ナーガ」

 「ナーガ」の修業は、口承によって受け継がれてきました。そのため、師弟の絆は固く、彼らは「共鳴」するのだといいます。また、インドでは義務教育の代わりに寺院に子どもを預け、神聖な伝承を学ばせることが認められています。服を着ないことが違法であるにも関わらず、全裸の修行者は受け入れられています。このように、インドでは今も脈々と、ヨーガの世界観、そして「ナーガ」という聖者の存在が伝承されているのです。

 

 ヨーガは、「全体の崇拝」であるといいます。内省を重ね、自分を見つめることで、自分と世界の連帯を感じます。そして、肉体を超越した世界で、種族、性別、年齢といった障壁を超え、人間全体でひとつの存在であると理解するのです。

 多様性が叫ばれる社会で、私たちは様々な問題に直面しています。人間は自らの感情に支配されやすい存在です。全ての人類が「ナーガ」のような修行者になることは難しいですが、彼らの生き様を見ることで、自分がいかに小さな世界でもがき苦しんでいたのかを知ることができます。そして、広い世界を知ることは、小さな違いを持つ隣人を受け入れることに繋がるはずです。

 目を閉じて、自分の中に広がる「宇宙」を見つめてみてください。それは、修行には遠く及ばずとも、意味のある行為です。なぜなら、純潔な彼らも、私たちも、同じ人間なのですから。

 

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太陽の塔

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太陽の塔 2018年製作/日本/作品時間112分

 今回紹介する作品は、特集【人類史を紐解く】より、「太陽の塔」です。

作品概要

 1970年、高度経済成長に沸く日本で「人類の進歩と調和」を掲げて開催された大阪万博にて、そのシンボルとして芸術家・岡本太郎が制作した「太陽の塔」は、万博が終わっても取り壊されることなく、大阪を象徴する存在の一つとして現在まで愛されています。本作では、激動の時代を生きた太郎が「太陽の塔」にどんな思いを込めたのか、様々な分野の専門家や芸術活動に携わる人々からの取材を重ね、検証してゆきます。芸術とは、そして人類とは何かを見つめなおすきっかけになる、話題作です。

見どころ

人類は進歩などしていない!

 大阪万博では「人類の進歩と調和」を主題に、過去を否定し、未来に希望を見出す思想が人々を包んでいました。斬新な芸術の代表者として白羽の矢が立った太郎ですが、彼はこの「進歩と調和」に疑問を抱いていました。「太陽の塔」の展示は、新しいものづくしの万博で、生命の歴史と、人類が抱える矛盾に正面から向き合い、そんな社会を支えているのは無名の大衆であると、訴えたのです。

「縄文」に惹かれた太郎

 太郎は、縄文時代の土器をはじめ、その時代の人類が持つ精神性に強い関心を持っていました。縄文時代は、狩猟・採集の時代です。農耕が始まり、階級の存在する社会が構築されてから現代に至るまで、私たちは同じ作業を繰り返す機械のようになってしまったといいます。近代というシステムに抜け落ちている「生命力」を、太郎は取り戻すべきだと考えていたのかもしれません。

曼荼羅」としての太陽の塔

  「曼荼羅」とは、仏教の世界でその「宇宙観」を立体化して表現したものです。太郎は、太陽の塔曼荼羅であると、明言しています。太郎が重視した曼荼羅の概念とは、全ての物事は融通無碍に繋がりあっている、というものでした。生命の歴史を、アメーバから人間まで繋ぐ「生命の樹」の展示は、太郎が大切にしていた世界観を「曼荼羅」として表現したものだと考えられます。

 

 原子力は、私たち人類が「人工の太陽」を生み出したとも言われた、画期的なエネルギー資源の発明でしたが、人類は結果として核兵器の問題や、事故による汚染など、様々な代償を負うことになりました。

 太陽の塔「太陽」の名を冠しているのは、太郎が私たちに「人工の太陽」が手に負えないものであることを示唆してるようにも感じます。現に、太陽の塔は万博が終わってからも、取り壊されずに残されていますが、これは、太陽の塔という「もう一つの人工の太陽」を壊せなかった、つまり「手に負えなかった」という結果によるものと捉えることもできます。

 検証と想像によって、太陽の塔から読み取れるメッセージは無限に広がります。時代や人によって、同じものから受け取るメッセージは変化しうるものです。太陽の塔が、時を超えて存在するものだと太郎が想定していたのならば、彼が私たちに期待していることは、私たち人類が内に秘めた何かに気づき、「覚醒」することなのではないでしょうか。

 

太陽の塔」はアジアンドキュメンタリーズで配信中です↓

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列車街

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列車街 原題:My life as a Cowboy 2018年製作/作品時間76分 撮影地:スリランカ 製作国:スリランカ

 今回紹介する作品は、特集【スリランカの傷跡】より、「列車街」です。

作品概要

 スリランカには、列車とスレスレの線路脇で生活する人々がいます。彼らの出自は様々で、内戦の原因となった、対立する民族同士も一緒になって暮らしています。食肉処理施設が近くにあるからと、政府に「ヤギ小屋」と名付けられたこの街は、抑圧された住民たちの団結により、守られてきました。「列車街」で暮らす人々の生き様に迫るドキュメンタリーです。

見どころ

線路の上の生活

 彼らの生活スタイルは、あまりに衝撃的です。線路の脇はおろか、線路の上を歩き回り、そこに机を置いて物を売ったりしています。そして、列車が通る時間には、急いで線路の脇に逃れ、列車が通り過ぎるのを待つのです。子どもたちは線路の上で遊びまわり、線路を歩いて学校に通います。彼らにとっては、それが当たり前のことなのです。

街の人々の団結

 この場所はもともと、タミル人が暮らしていた土地でしたが、シンハラ人が移り住み、話し合って共に暮らすようになったという歴史があります。民族間の対立により長く内戦が続いていたスリランカですが、この街の人々は民族を問わず団結しています。彼らは、スリランカの民族間の融和の象徴のように思えますが、彼らが民族を問わず、抑圧された存在であったことを示しているとも言えるでしょう。

立ち退きを強いられる街

  ある住人は、この街を「美しい」とさえいいます。抗うことのできない、絶対的な存在である「列車」と、そこに生きる人々の力強さと儚さを醸し出す「街」の対比は、ある種の美しさすら感じさせます。

 政府によって、路線の拡張が計画されていることで、彼らは立ち退きを迫られています。もともと、国の鉄道部の土地に「違法に」生まれたこの街は、消滅することが、正しい在り方なのでしょうか。

 

 原題である「My life as a Cowboy」(カウボーイとしての僕の人生)は、この街のとある少年の、この街での暮らしを喩えた言葉です。様々な人が暮らすこの街は、俳優を夢見る少年にとって、映画の中の出来事のように魅力的なのです。それがたとえ、過酷な環境であり、貧しく、抑圧されたものであったとしても、です。

 カウボーイもまた、過酷な環境で生きる存在です。それではなぜ「カウボーイの人生」は魅力的なのでしょうか。開拓者であるカウボーイは、自身が生きる場所を、自分の力で切り拓いていく存在です。その力強さに、後世に生きる私たちは、憧れ、魅力を感じるのです。

 そして、列車街には、かつて街を「開拓した」人々の力強い魂が、いまも息づいています。そんな街の姿を見ると、私たち人間が持つ「開拓者」としての力強さに気づかされます。私たちの「カウボーイとしての人生」は、それに気づいたときに始まるのです。

 

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